マンホールが教える広島の歴史・西国街道

広島市

※本ツアーは終了しました。

マンホールが教える広島の歴史・西国街道のイメージ

<猿猴橋~広島城を歩く>
広島城下の東の玄関口猿猴橋からスタートします。
猿猴橋周辺の雁木は広島の水上交通の船着き場でとして利用されています。
道中ダウンロードした城下町広島ぶらりを使って今昔の広島を振り返りながら街歩き散策をします。
<観光体験>
手作業体験で感じる伝統工芸の職人技
<気軽に伝統工芸手作り体験>
大正時代には全国仏壇生産量一位を誇る金仏壇の一大産地となった広島。原爆投下により、40軒以上が軒を連ねていた「仏壇通り」は壊滅しましたが、原爆でも失われなかった職人の技術と広島仏壇の伝統を工房で見学したあと、お好きな手作業体験にチャレンジ!

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「03337」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

広島城下の東の玄関口 “猿猴橋”

広島県広島市南区

広島城下の東の玄関口 “猿猴橋”のイメージ

広島城下の東の玄関口として街道の要所であった猿猴橋です。
この猿猴川には伝説上の動物【猿猴】(広島弁で河童の一種)が住んでいたという言い伝えがあります。
大正15年3月に絢爛豪華な装飾を施された橋として完成しましたが、戦時中に金属回収令で装飾が供出され、さらに原爆投下により被爆してしまいました。平成20年には,四隅の親柱に設置された、地球儀をつかんで羽ばたく大鷹の像と、欄干の桃を掲げる2匹の猿の装飾などが復元され、現在の橋がよみがえりました。猿猴橋は平成23年に【被爆に耐えた装飾的橋梁】として土木遺産にも選ばれました。
周辺の川辺では水上交通の船着き場として利用されていた雁木をみることができます。
猿猴橋のそばには新しい名所として【HIROSHIMAソーシャルディスタンスベンチ】が設置されています。
西国街道の猿猴橋とHIROSHIMAの文字が重なって撮影できるPHOTOポイントです。

仏壇通り

広島県広島市中区

仏壇通りのイメージ

【広島仏壇】は1978年に【伝統的工芸品】に指定されています。
広島仏壇は1619年浅野長晟公が紀州から転封された際についてきた職人たちから高度な技術がもたらされたことが発展の礎になったと言われています。西国街道の沿道には商人や手工業者の住居である町屋があり、多くの職人が住んでおり、水運が近いなどの要件も重なりやがて仏具店が軒を並べる通りに発展しました。
大正末期からは、職人は弟子を住み込ませて堀川町、銀山町、鶴見町、竹屋町、平塚町あたりに住み、仏壇製造の中心地になりました。
地師(きじし),宮殿師(くうでんし),狭間師(さまし),須弥壇師(しゅみだんし),塗師(ぬし),蒔絵師(まきえし),かざり金具師の七匠の技が一つになり,広島仏壇が完成します。
製造工程の下地材料には広島のカキの殻を砕いたものも使われています。戦後、復興とともに繁華街として発展していく中で、場所を伝えるのにわかりやすいため自然と「仏だん通り」と呼ばれるようになったそうです。
西国街道の繁栄を支えた職人たちの歴史が今も通りの名前として残っています。

手作業体験で感じる伝統工芸の職人技

広島県広島市中区

手作業体験で感じる伝統工芸の職人技のイメージ

広島仏壇づくりで培われた職人の技術を実際に体験してみよう。
出来上がった作品は全て旅の思い出になるものばかりです。
<金箔鉛筆づくり>所要時間約30分1,000円(税別)
広島仏壇に使われている金箔を使って黄金に輝く鉛筆を作ります。
0.1ミクロンの向こう側が透けるような薄い金箔が鉛筆に貼りつく様子はとても不思議で楽しい体験です。
<匂い袋づくり>所要時間約30分1,000円(税別)
仏だん通りに漂うお香の香り。漢方にも使われる天然の香料で世界に一つだけの自分好みの香りを匂い袋にして旅の思い出と一緒にもちかえりましょう。
<お香づくり>所要時間約40分1,000円(税別)
お香のもととなるタブ粉に少量の水とお好きな香りを加えたらひたすら練る、練る、練る!最後にかわいい型で型抜きしたら完成です。

広島本通り

広島県広島市中区

広島本通りのイメージ

本通りは西国街道の一部であり、旧町名は革屋町、播磨屋町、平田屋町といいました。名前からわかるように商人の町でした。
ここには、今から約150年前の慶応元年以前から創業されている渡部陶苑や、初代広島藩主の浅野氏と共に和歌山から広島入りし商売を始めた多山本店、唯一江戸時代から同じ場所で営業し続けている赤松薬局(旧金川屋)などが軒を連ねます。また、本通りの足元には、旧町名目を銘板にして埋め込んであり、現在との対比、城下町の地図とのリンクをすることができます。
本通り電停からパルコのある方向に直進すると、パルコ前で右に進める道があります。現在の並木通りです。現在の並木通りは埋め立てられ、道となっていますが、かつて毛利輝元が広島城を築城する際に造られた運河であり、城下町への物資運搬などにも使われていました。
少し立ち止まって過去に思いを馳せるのはいかがでしょうか。

<広電の駅名に残る城下町の名残とは?> 広電電車

広島県広島市中区

<広電の駅名に残る城下町の名残とは?>  広電電車のイメージ

広島城の城下町であった時代から現在も続く地名がたくさんあり、市電の電停でもおなじみの地名となっています。地名の一部は広島城の施設から関連付けて付けられているものもあり、広島城と城下町の名残を感じることができます。そんな地名を市電に乗って巡りませんか?
例えば、立町電停の立町。この場所にはかつて外堀にかかる立町御門がありました。他にも、八丁堀電停の八丁堀は堀の長さが八丁(現在でいう872mほど)あったことから名づけられています。電停を巡りながら町名の成り立ちを考えたり、今と昔を比べてみませんか?

縮景園

広島県広島市中区

縮景園のイメージ

縮景園は、名勝の指定を受けている庭園です。
元和6年(1620年)に広島浅野藩初代藩主 浅野長晟の別邸庭園として、茶人兼家老の上田宗箇が築庭した大名庭園です。宝暦の大火や原爆の被害にあい、復旧や修繕を繰り返しながら、2020年には築庭400年を迎えました。日本の四季ならではの、植物を楽しみながら日々の喧騒から離れ、ゆったりとした時間の流れを感じることができます。街中にありながら、時間を忘れることができ、リラックス効果、デトックス効果抜群です!!

広島城

広島県広島市中区

広島城のイメージ

このツアーの目玉はここ広島城!
ここではVRを使った城攻め体験をしていただきたいと思います。
VRで戦国時代にタイムスリップ!
あなたは広島城を攻め落とさんとする足軽Aです。
お城は権力の象徴であるとともに、防御の為の場所でもありました。戦国の世に築城が始まり、幾度となくその姿を変えながら現在に残る広島城の防御設備を学びながら、実際に広島城を攻め落とそうとする足軽になりきって攻め落としてみましょう!
【VRで見て頂きたいポイント】
①狭間:お城の塀に開けられた三角や四角の穴のことです。敵が攻めてきたときに、この穴から弓矢や火縄銃を出し、攻撃するための防御施設の1つです。
②桝形虎口:お城を攻めるのに、一直線に天守閣まで行きたいところを道を直角に曲げ、石垣で囲まれた方形の空間と二つの門を設置。大人数でスピードを維持したまま直角に曲がるのが難しいことを利用し、スピードダウンしたところを、上から弓矢で敵を倒します!
③石落とし:石垣より壁がすこし飛び出た部分で、敵が石垣を果敢にも登って来た時に、上から石を落としたり、弓矢や火縄銃で攻撃するための施設。これにより石垣を上るのが格段に難しくなります。
番外編:石垣にいくつか刻印がされているのをご存知ですか?これはどこから持ってきた石なのかがわかるようにそれぞれの大名でマークを決めていたものです。どのマークが広島城の石垣に使われているのか見るのも面白いですよね!
ちなみに39種類もありますよ!