養老渓谷観光見所情報

千葉県

養老渓谷観光見所情報のイメージ

大多喜城と大多喜城下には多くの文化財や、いすみ鉄道と四季折々に咲く花や風景を求めてて多く観光客がおみえになります。
養老渓谷は、温泉卿と滝めぐり遊歩道、、手掘りのトンネル、関東で一番遅い紅葉の見所です。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「74831」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

山の駅 養老渓谷 喜樂里

その他の地域

山の駅 養老渓谷 喜樂里のイメージ

養老渓谷の観光案内所喜楽里は、無料休憩所、無料駐車場、トイレが御利用頂けます。地域特産品の販売やお土産品の販売、軽食飲食品も取り扱いをしている養老渓谷観光案内所です。

筒森神社

千葉県夷隅郡

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壬申の乱(672年)に敗れた大友皇子と妃十市姫は上総の地に逃れ、大友皇子は追手に敗れ十市姫はこの地にたどり着いたが、難産の末亡くなり、里人が大友皇子と妃十市姫の霊を手厚く弔い945年に社殿が建てた。  祭神 十市皇女  安産の神様

弘文洞

千葉県市原市

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農耕地を開拓するため、養老川の支流と蕪来川を川廻しして造られた隧道で昭和54年5月24日未明に頭頂部が崩落してしまいました。弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍らを流れ本流に合流することから弘文洞を命名した。

向山共栄トンネル

千葉県夷隅郡

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1910年代に掘られたのが上段の向山トンネル、トンネル内には防空壕が掘られた跡があります。1940年代に車通行の利便性から現在の共栄橋の架替え工事と共に、共栄トンネルが掘られ、上の出口が埋め戻されることがなかったので、珍しい2階建てトンネル、名前も向山・共栄トンネルの観光名称となっている

出世観音

千葉県市原市

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1180年、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ、九死に一生を得てこの地に逃れ、再起を賭け昼間なお暗き当処の山谷に立て篭もり、平素甲冑に持参の観音像を茅舎に奉祭して、一心不乱に戦勝祈願をされ、1192年天下を平定し初代征夷大将軍となり、公家社会から武家社会の初めての頭領と成ったとされています。 開運招福の観音様

水月寺

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臨済宗妙心寺派の禅寺で、1384年開創、至徳は北朝の年号です。1720ころ(享保年間)大多喜城主松平氏の要請により、松平氏の菩提寺である大多喜町田丁円照寺の隠居寺となりました。本尊の如意輪観音菩薩座像は創建当時の作、如意輪とは、常に慈悲の心をもって世間の人々に安ぎと幸福を与える仏様。

粟又の滝

千葉県夷隅郡

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養老川の上流奥養老渓谷粟又字高滝にかかる滝のことを粟又の滝といい、高滝とも言われています。高さはおおよそ30メートルあります。房総一を誇る名瀑布です。100メートルにわたって滑り台のようなゆるやかな岩肌を流れ落ちるこの滝は、幻想的な美しさで人々を魅了します。滝の周辺は,春は新緑、秋には紅葉が美しく、川沿いに1.2kmの遊歩道が整備されています。

麻綿原高原

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麻綿原は、「まめばら」といい、むかし、この地が麻や綿の産地として朝廷にも上納したことからつけられた名地であると言われています。火災に逢い水利の不便なことから廃寺となりました。1953年現住職箕輪日受師が再建をはかり、天拝園と称して境内に数万本のあじさいを植え、現在では南総随一の景勝地となり、町の名称として指定されています。

妙厳寺

千葉県夷隅郡

妙厳寺のイメージ

 1382年(永徳2年)真言宗不動尊として開基、往時より郡内最大の修験道場でありましたが、1447年(文明9年)日朝上人の導きにより時の住僧善敬は日蓮宗に帰依し日章と改め寺号を妙嚴寺と改称したと伝えられている。1583年(天正11年)2月粟立山城主里見義頼が境内4ヘクタールを寄進して、祖師堂を再建したと伝えられている。1603年(慶長8年)「キリシタン禁止の御札」など、室町末期から江戸初期の古文書も多く残されています。