沼田かるたスタンプラリー(沼田の町中編)

群馬県

※本ツアーは終了しました。

沼田かるたスタンプラリー(沼田の町中編)のイメージ

沼田の魅力と歴史を集めた「きりえ沼田かるた」。
昭和62年3月に制作されてから、子供から大人まで多くの方に親しまれており、令和元年9月には、白沢町と利根町に関する札が仲間入りして装いも新しく「改訂 きりえ沼田かるた」となりました。
沼田かるたの地を巡る「沼田かるたスタンプラリー」最初は「沼田の町中編」。
街中をのんびり歩きながら、沼田の魅力と歴史に触れてみませんか。
スポットを制覇した方には、豪華賞品をプレゼント!

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「29447」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

「久米民之助 沼田公園 生みの親」

群馬県沼田市

「久米民之助 沼田公園 生みの親」のイメージ

久米民之助は文久元年(1861)沼田に生まれ、15歳で上京、工部大学校(現東京大学)を卒業した。宮内省に入り皇居二重橋の造営に携わり、実業家で成功を収め、その後政界に進んで衆議院議員に4期当選した。当時荒れ地だった沼田城址整備のために私財を投じ、大正15年(1926)町に寄付した。当時は久米公園といわれ、これが現在の沼田公園である。昭和6年(1931)71歳で亡くなり、墓は鍛冶町正覚寺にある。平成元年(1989)沼田市名誉市民に顕彰された。
 ※道路に面した場所にありますので、車に気を付けて探してください。

「真田氏の 栄枯の名残 城の鐘」

群馬県沼田市

「真田氏の 栄枯の名残 城の鐘」のイメージ

沼田公園の鐘楼の「鐘」は真田氏二代信吉が、寛永11年(1634)沼田で鋳造させたという。この鐘は天和元年(1681)真田氏改易後、西原新町平等寺に移され、明治31年(1898)頃から沼田町の時鐘となった。昭和39年(1964)市庁舎改築の際鐘楼は取り壊されたが、昭和58年(1983)沼田公園に復元された。
なお、現在つかれている鐘は複製品。本物は、沼田市歴史資料館にある。

「石垣に 歴史を偲ぶ 沼田城」

群馬県沼田市

「石垣に 歴史を偲ぶ 沼田城」のイメージ

沼田城は、天文元年(1532)沼田万鬼斎顕泰が3年の年月をかけ築城、鞍打(倉内)城と称した。その後真田昌幸が入城、天正18年(1590)昌幸の嫡子信幸(信之)が城主となり、慶長年間に五層の天守を築城。天和元年(1681)五代城主伊賀守が改易になり、翌年沼田城は破却。その後入封した本多氏が居館を建てたが、明治になりそれも取り壊された。本丸・二の丸跡が現在の沼田公園となり、本丸内に数ヵ所僅かに石垣が残る。

「生方家 町家造りの 文化財」

群馬県沼田市

「生方家 町家造りの 文化財」のイメージ

生方家住宅は、東日本において稀に見る古き町家づくりの遺構であり、その様式・技法から17世紀末頃の建築と推定される。
町の市街地にあったが、維持管理のために解体し、昭和48年(1973)沼田公園内に移築した。その際文化庁の指導のもと建築当初の原型に復元した。

「林柳波の おうまのおやこ」

群馬県沼田市

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「おうまの親子は仲よしこよし」
童謡「おうま」の一節。作詞者林柳波は明治25年(1892)材木町に生まれた。本名は照壽(てるひさ)、沼田尋常小学校高等科卒業の後、明治薬学校(現明治薬科大学)を卒業し薬剤師となった。恩田重信校長に推され講師に就任。母校の経営に参画する傍ら詩歌・童謡の世界にも才能を発揮、「七夕」「ウミ」「うぐいす」等の作品を残した。市内の校歌も数多く作詞した。昭和49年(1974)、83歳で亡くなった。平成元年(1989)沼田市名誉市民として顕彰された。
 ※場所が小学校の敷地内になりますので、ご留意ください。

「人の波 みこしまんどう 沼田まつり」

群馬県沼田市

「人の波 みこしまんどう 沼田まつり」のイメージ

古くは、「おぎょん」といわれ、8月3、4、5日がまつりの日である。山車が出始めたのは明治10年代と推定される。これを「まんどう」と呼ぶのも独特であり、かつては付け祭といわれ、須賀神社・榛名神社の御輿の渡御に奉仕した。今は、「沼田まつり」として一体の行事となり、女性だけが担ぐ天狗みこし・各町の子供みこし・夜の通りを埋める千人踊りなど多彩な興趣を添えている。

「須賀神社 茅の輪まつりに 大欅」

群馬県沼田市

「須賀神社 茅の輪まつりに 大欅」のイメージ

祭神は素戔嗚尊。江戸時代までは牛頭天王宮と呼ばれ親しまれた。9月1日の茅の輪まつりは初秋の風物詩である。「風土記」による蘇民将来の伝説から、茅の輪をくぐると、その年の災厄や疫病を免れるという。本殿裏の大欅は高さ25㍍に達し、市街地では珍しい巨木である。神殿の傍らに村上鬼城の句碑がある。
「なつかしき沼田の里の茅の輪かな」

「留守の城 守りとおした 小松姫」

群馬県沼田市

「留守の城 守りとおした 小松姫」のイメージ

小松姫は、本多忠勝の娘で、徳川家康の養女として天正17年(1589)17歳で真田信幸(信之)夫人となった。関ヶ原の戦いで家康方となった信幸の出陣中、豊臣方の義父昌幸・義弟信繁(幸村)の沼田城入城を拒んだという逸話がある。元和6年(1620)病を患い帰郷の途上、中山道鴻巣において48歳で亡くなった。信幸は「わが家の燈火消ゆ」と嘆いたという。大蓮院と追号。鍛治町正覚寺に廟と墓がある。