天空の城下町 真田の里 沼田

沼田市

※本ツアーは終了しました。

天空の城下町 真田の里 沼田のイメージ

かつて、この地に、五層の天守閣を持つ沼田城がありました。城の三の丸には城鍾があり、昼夜十二回、時を告げその音色を大空いっぱいに響かせていたといいます。
400年の時を超えた現在、真田信之が整備した近世城郭・沼田城は、沼田城址公園に姿を変えました。
しかし、街を歩けば真田氏が残した足跡に出会えます。真田氏がいた時代に想いをはせながら沼田さんぽへ出かけましょう。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「27957」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

榛名神社

群馬県沼田市

榛名神社のイメージ

享禄2年(1529)、沼田万鬼斎顕泰が現社地に社殿を建立しました。
沼田氏、真田氏、本多氏、土岐氏と、代々城主の崇敬を受け、元和元年(1615)には、真田信之が社殿を改築し、現在でも家紋の六文銭が本殿の扉の上に残されています。
本殿の裏手には、撫でた手で自分の顔をこすると美人になるとの言い伝えがある「面々美様」が祀られています。

沼田城跡

群馬県沼田市

沼田城跡のイメージ

沼田城は、天文元年(1532)に沼田氏の12代沼田万鬼斎顕泰が築いたもので、蔵内城とも呼ばれたこの城は、関東へ至る要衝の地にあることから、越後の上杉氏や小田原の後北条氏、甲斐の武田氏などに戦国大名によるめまぐるしい争奪戦の舞台となりました。

天正8年(1580)に真田昌幸が沼田城を攻略し、翌9年には沼田城の奪還に来攻した沼田平八郎景義を謀殺し、天正18年(1590)に昌幸の長男信幸(之)が沼田領二万七千石の真田氏初代城主となり、その後5代91年間の真田氏の居城となりました。
信幸は、近世的な城郭の整備にとりかかり、慶長2年(1597)には五層の天守が築かれましたが、天和元年(1681)、に真田氏が改易となり、城は幕府に明け渡され、翌2年に城はすべて破却されて堀も埋められました。

現在、本丸と捨曲輪と二の丸、三の丸跡の一部が沼田公園に、外曲輪の一部が小学校や高等学校の敷地となっており、本丸跡に真田氏時代の西櫓台と石垣跡、本丸堀の一部がみられ、僅かに城の名残を留めています。
捨曲輪から、小川城、名胡桃城、明徳寺城、小沢城、高王山砦方面を一望できますので、真田氏と後北条氏の攻防に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
また、日本百名山の谷川岳や上州武尊山の眺望も楽しめます。
北の天狗滝の段丘崖は険しく、沼田城が難攻不落の要害であったことが伺えます。

正覚寺

群馬県沼田市

正覚寺のイメージ

本堂屋根の寺紋は立葵。
慶長17年(1612)真田信幸(之)が現在地に移転。名胡桃城を奪われた鈴木主水が切腹したした寺として知られています。

真田氏初代沼田城主信幸の正室であった小松姫(稲姫)のお墓があることでも有名です。
小松姫は、徳川家康の重臣本多忠勝の娘として生まれ、家康の養女となって、真田昌幸の長男信幸に嫁ぎました。
才色兼備をもって聞こえ、女丈夫とうたわれた、その人となりが伺える次のような逸話が伝えられています。

慶長5年(1600)、天下分け目の関が原戦いを前に、犬伏の別れにより、信幸と袂を分かった真田昌幸と信繁(幸村)は、上田城に戻る道中、「孫の顔が見たい」と小松姫が留守を預かる沼田城に立ち寄りました。
戦装束で現れた小松姫は「敵味方となった以上、舅といえども敵を案内するわけにはなりません」と入城を拒みつつも、程なく昌幸を近くの正覚寺へと案内し、孫との最後の対面をさせたといわれています。

真田家が乱世を生きるむずかしい時に、信幸が進退を誤らないで真田家十万石の礎をつくったのは、小松姫の内助の功によるところが大きいといわれています。

小松姫は元和6年(1620)病気療養のため、江戸を出て草津へ向かう途中、2月24日武蔵国鴻巣で亡くなりました。
享年48歳。同所で火葬、分骨して、正覚寺、鴻巣の勝願寺、上田の芳泉寺にそれぞれ葬られました。法名は大連院殿英誉皓月大禅定尼。
墓は総丈271cmの宝篋印塔で、「阿弥陀三尊 大連院殿 英誉皓月 元和六年庚申二月廿四日 施主敬白」の刻銘があり、相輪の蓮華が細かく屋蓋の彫りは強く、塔身は荘重な形で、江戸時代初期の宝篋印塔の特徴を良く表しています。

訃報を聞いた信幸は「わが家の燈火が消えたり」といって悲しんだとのことです。
小松姫の霊廟からは、沼田八景の一つ「子持の錦秋」が望めます。
霊廟を参り、子持山を望んだ信幸の心に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

沼田市歴史資料館

群馬県沼田市

沼田市歴史資料館のイメージ

古代から真田の治世、徳川支配下を経て近現代までの各時代の沼田市の歴史資料が展示されています。
沼田城跡発掘調査により出土した遺物や沼田城周辺の大型ジオラマ、真田氏時代の城下町マップが設置されており、寛永11年(1634)に真田氏2代沼田藩主真田信吉が鋳造させ、沼田城内三の丸の楼に掛けて時報に用いた城鐘の実物も展示されています。

東見屋まんじゅう店

群馬県沼田市

東見屋まんじゅう店のイメージ

文政8年(1825)創業
創業以来の酒種で作る芳醇なかおりたつ生地に秘伝の味噌だれをぬり炭火で焼き上げた一品。
その味は上州沼田名物として親しまれております。

松之屋

群馬県沼田市

松之屋のイメージ

上州真田武将隊が営む商い処。
真田に関連するグッズやお土産の販売、古銭を使った六文銭御守り作りや手裏剣投げ等の遊びも体験できます。
沼田城に縁のある武将名を揮毫した、武将印、御将印も人気です。
六文銭シール(1文100円)を使って、沼田市内の名所旧跡を散策しながら楽しくお得に食べ歩きできる「上州沼田 食べ歩きチケット」が使用できます。
上州沼田 食べ歩きチケットは、沼田駅前の諸田商店や沼田市観光案内所等で販売しています。

須賀神社

群馬県沼田市

須賀神社のイメージ

文和年間創建。
慶長17年(1612年)に真田信幸(之)が町割りをするにあたり、現在地に移したといわれています。
毎年8月3日、4日、5日に行われる祇園祭が「沼田まつり」として知られ、3日間に約20万人以上の人出で賑わいます。
本殿裏のケヤキは、「須賀神社の大ケヤキ」として天然記念物として群馬県から指定されています。

大正浪漫歴史的建物群

群馬県沼田市

大正浪漫歴史的建物群のイメージ

旧土岐家住宅洋館(2020年移設予定)、旧沼田貯蓄銀行、旧日本基督教団沼田教会紀念会堂等の明治大正期の建築物が移築されています。
ハイカラさん気分が味わえるフォトスポットです。

街なか天狗プラザ

群馬県沼田市

街なか天狗プラザのイメージ

沼田市内には6体の大天狗面が祀られています。
街なか天狗プラザに常設展示されている大天狗面は、顏の丈4.3m、幅2.9mの「観光大天狗面」があります。毎年8月3~5日に行われる「沼田まつり」で女性に担ぎ出されます。
街なか天狗プラザの敷地内にある農産物直売所では、朝採りの地場産新鮮野菜や季節の果物、手作り加工品など利根沼田の地元の味を求めることができます。
群馬県民のソウルフード「フリアンのみそぱん」や甚内茶屋の餅菓子も販売しています。

角田精肉店

群馬県沼田市

角田精肉店のイメージ

沼田市の地場産枝豆を使用したご当地グルメ「えだまメンチ」を販売しています。
牛肉と豚肉の挽き肉を使用し、枝豆は香りと食感を味わうために細かく砕いたものと粒の枝豆を使用した旨味ぎっしりのメンチです。
えだまメンチ(単品)150円 日曜日定休