多賀城市中心部を回る観光ツアー

大阪府

※本ツアーは終了しました。

多賀城市中心部を回る観光ツアーのイメージ

多賀城市内の中心地を巡る観光ツアーになります。多賀城駅中心のスポット、「多賀城市立図書館」「埋蔵文化財調査センター展示室」「多賀城史遊館」は文化交流拠点として県内外の方々が来られ賑わいを見せております。また多賀城郵便局周辺には、天童家の守護神を祭る「喜太郎神社」や菩提寺の「宝国寺」、歌枕で有名な「末の松山」「興井(沖の石)」など、歴史散策も楽しめる内容になっております。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「75616」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

多賀城市観光案内所

宮城県多賀城市

多賀城市観光案内所のイメージ

多賀城市の「観光情報」や「まちの魅力」を知るなら、是非多賀城市観光案内所へお立ち寄り下さい。多賀城市特産品の古代米を使った「しろのむらさき」や、古代米で造った日本酒「おもわく姫」などのお土産も購入できます。多賀城市マスコットキャラクターの「たがもん」のぬいぐるみも可愛くておススメです。
【電話】022-364-5901【開所時間】9:00~16:00【定休日】年末年始

多賀城市立図書館

宮城県多賀城市

多賀城市立図書館のイメージ

平成28年3月にオープンした市立図書館。「家」をコンセプトに誰もが行きたくなる環境・居心地の良い空間となっています。じっくりと本を読みたい方、気軽に利用したい方など目的に応じて階層ごとに役割を設けております。オープンから5年が経った今でも、県内外多くの利用者に親しまれています。【開館時間】9:00~21:30【休館日】年中無休

埋蔵文化財調査センター展示室

宮城県多賀城市

埋蔵文化財調査センター展示室のイメージ

常設展「古代都市多賀城」では、発掘調査によって出土した様々な資料をもとに当時の多賀城を紹介しています。奈良時代から平安時代にかけて、東北の政治・軍事の拠点であった多賀城。その南側には、道路によって整然と区画された、大規模な「まち並み」が広がっていました。平安時代の資料に「城下」と記されたこのまち並みは、地方都市と呼ぶにふさわしいものでした。【電話】022-368-0134【開館時間】9:00~16:30【休館日】月曜日、祝日の翌日、年末年始

多賀城史遊館

宮城県多賀城市

多賀城史遊館のイメージ

多賀城史遊館は、平成19年11月1日にオープンした施設で、「まが玉づくり」や「火起こし」「縄文かごづくり」などの体験学習(一部有料)を常時行うことができます。常設展示室では、縄文時代から江戸時代までの多賀城市の歴史や昭和の農家の様子を紹介しており、多賀城市の歴史が概観できます。【電話】022-368-3127【開館時間】9:00~16:30【休館日】月曜日、祝日の翌日、年末年始

志引石

宮城県多賀城市

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多賀城市内には、平安時代以来の歌枕が数多くあります。そのひとつが「志引石」です。君が代は 千びきの石を くだきつゝ よろづ世ごとに とれどつきせじ 源顕仲(堀河院百首聞書) 陸奥国の 千引の岩と 我が恋は になはばあふて 中や絶えなん 源頼朝(新古今集) ここには、誰も動かせなかった千引石を、若い女性が動かしたという伝説が残っています。

多賀城廃寺跡

宮城県多賀城市

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多賀城と同時期に創建された多賀城の付属寺院跡で、多賀城跡の南東約1.2キロメートルの高崎地区にあります。東に塔、西に東面する金堂があり、その北には講堂が置かれ、中門から延びた築地塀が塔と金堂を取り囲み講堂に取り付くという伽藍(がらん)配置は、大宰府付属の観世音寺(かんぜおんじ)と共通しています。寺の名称は伝わっていませんが、山王遺跡から「観音寺」と書かれた土器が発見されており、寺名の可能性が高いと考えられています。多賀城跡とともに大正11年に史跡、昭和41年に特別史跡に指定され、これを記念して多賀城町(当時)は、廃寺跡を史跡公園として整備しました。このような史跡整備は、大阪府枚方市にある百済寺跡(くだらでらあと)に次いで全国で2番目に早く、東日本では初めての試みでした。

洋菓子のお店 ティファニー

宮城県多賀城市

洋菓子のお店 ティファニーのイメージ

多賀城産古代米とチョコクランチをつかって焼きあげた多賀城古代米焼きショコラは新しい食感です。食べておいしい選べてたのしい多賀城のお土産にお使いください。多賀城バナナもおすすめです。【多賀城古代米焼きショコラ】箱詰贈答品5個入・10個入・15個入・20個入【多賀城バナナ】帰省のお土産に!5本入・8本入・10本入【電話】022-365-5566

喜太郎稲荷神社

宮城県多賀城市

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江戸時代、八幡村の領主であった天童氏の守り神で、天童氏が出羽国天童城主だった頃、狐崎喜太郎という家臣が京都の伏見稲荷に参拝して神力を得、その後天童城下の守護神になるよう命ぜられ、この神社が創建されたといわれています。天童氏の移住とともに、この地に移設されましたが、天童市内にも喜太郎稲荷神社が3社残されています。

宝国寺

宮城県多賀城市

宝国寺のイメージ

江戸時代になると、仙台藩の重臣となった天童氏が多賀城の八幡(やわた)に屋敷を構えたことで、その周囲に家臣や庶民の住まいが立ち並ぶ町場が形成されました。宝国寺は天童氏の菩提寺で、山号は末松山。本堂の奥、二本の老松が聳える丘の辺りが歌枕の「末の松山」と言われています。【電話】022-362-4572

末の松山

宮城県多賀城市

末の松山のイメージ

平安時代(8世紀から12世紀)の昔から「歌枕」として遠く都の人々にも知られてきました。大きな津波が襲っても「末の松山」を越えることはできない、とのいわれから、越すに越せない大きな存在を意味するようになったとされます。 「きみをおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪もこえなむ」-古今和歌集 東歌  「うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は こえじ物ぞと」-源氏物語 …など、 末の松山を詠んだ歌は数多く残されています。

興井(沖の井・沖の石)

宮城県多賀城市

興井(沖の井・沖の石)のイメージ

おきのゐて 身をやくよりも 悲しきは 宮こしまべの わかれなりけり 小野小町(古今和歌集) わが袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾くまもなし 二条院讃岐(千載和歌集) 末の松山の南、住宅地に囲まれた一画にあり、池とその中の大きな石が目をひきます。江戸時代には、仙台藩により「奥井守」が置かれて大切に保護され、現在も地元の人々がその伝統を引き継ぎ、守り続けています。平成26年10月6日、名勝「おくのほそ道の風景地」として国の指定を受けました。

多賀城郵便局

宮城県多賀城市

多賀城郵便局のイメージ

多賀城駅前の砂押川を渡ったところにある郵便局です。多賀城局の開局は古く「昭和3年3月11日」。現局舎は昭和49年10月に移設され、今年で48年目の2代目局舎になります。現局舎は、今では珍しい「船大工」が建てた頑丈な局舎です。多賀城局は風景印もあり、「多賀城碑」「多賀城跡」「アヤメ」のデザインになっております。社員一同、皆さまのご来局を心よりお待ちしております。【電話】022-362-9783【営業時間】9:00~17:00【定休日】土、日、祝日、年末年始