川中島の戦いスタンプラリー

長野市

川中島の戦いスタンプラリーのイメージ

長野市内18ヶ所ある川中島の戦いゆかりの「スポット」でスタンプを集めよう!

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「29392」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

長沼城

長野県長野市

長沼城のイメージ

長野市の北東、長沼の千曲川左岸にある城。川中島の戦いの頃は、上杉方・島津氏の居城。
永禄11年、武田信玄は駿河国の今川氏を攻めて駿河を平定しようと目論み、越後北部の本庄繁長を誘って、越後への侵攻を計画します。越後侵攻の拠点の城となったのがこの長沼城です。
武田家滅亡後、上杉景勝が北信濃を支配した際にも、この城は重要な拠点となるのです。

善光寺如来の流転

長野県長野市

善光寺如来の流転のイメージ

川中島の戦いにおいて、善光寺如来が武田信玄や上杉謙信によって移されました。全国に名のある善光寺如来を自国に移座することで領内の人々の信望を得ようとしたのでしょう。
上杉謙信は弘治元年の第2次川中島の戦いの折、善光寺から仏像仏具の一部を越後に移しました。春日山城下に善光寺を建立し、信濃から住民を移住させ門前町を形成しました。
一方、武田信玄は、同年に善光寺を管理していた栗田氏を武田方に引き込み、善光寺如来をはじめ多数の仏像、仏具を甲斐国に移しました。永禄8年には甲斐に善光寺を建立。信濃から移った栗田氏や本願上人が移り住みました。善光寺を中心とした門前町も形成されました。

海津城

長野県長野市

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海津城は、松代城とも称される城で、長野市南部、長野市松代町に所在します。
築城年代は定かではありませんが、永禄3年には城として機能していたことがわかっています。武田信玄は春日虎綱をトップとして城に入れ、軍事行動や武士たちの指揮権などを任せました。海津城主は川中島4郡の権限を持つこととなります。
その後、何度か城主は変わりましたが、元和8年に真田氏が入ってからは、その居城として松代藩政を担いました。

牧之島城

長野県長野市

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長野市信州新町にある城です。元々はこの地を拠点とする香坂氏の支配する城でした。
海津城が武田信玄にとって北信濃4郡の拠点となると、西のおさえとしてこの城を改修しました。南・西・北の三方は犀川を防御施設としています。海津城と府中(松本)とを結ぶ城としても機能しました。
現在でも、本丸や土塁、そして三日月堀が現存します。遺構は良好に残されており、往時の姿を知ることができます。

胴合橋

長野県長野市

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長野市篠ノ井杵淵に所在します。
第4次川中島の戦いにおいて、武田方の武将・山本勘助が討死します。討ち取られた勘助の首は、その後家来が奪い返し、この地で胴と合わせたと伝えられています。
現在はその故事をしのんで、橋と碑が整備されています。

勘助の宮

長野県長野市

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長野市篠ノ井小森の長野南運動公園にその跡地があり、寺内正毅元帥の書いた石碑が建っています。
山本勘助がこの地で戦死したと伝えられています。古くはここに真木神社という社があり、別名を勘助宮と言いました。

山本勘助の墓

長野県長野市

山本勘助の墓のイメージ

長野市松代町柴の千曲川堤防の内に所在します。ここにはもと柴阿弥陀堂がありました。
山本勘助の死骸は、まず長野市篠ノ井西寺尾字水沢の千曲川ほとりに埋められました。江戸時代の洪水で千曲川の流路が変わり、このため現在地に移されました。
墓碑正面には「山本道鬼居士墓」とあり、左右面には勘助の経歴が記されています。

【現地に行く際の注意】
周辺の道路が狭いため、旧金井山駅に車を停めて歩いていくのがおすすめです。

幕張の杉

長野県長野市

幕張の杉のイメージ

長野市稲里町中氷鉋の個人宅にあります。
永禄4年の川中島の戦いは、川中島平の村々をも巻き込みました。この時、中氷鉋の土豪、青木次左衛門は、上氷鉋村、戸部村、今井村、今里村、岡田村の5か村に檄を飛ばし、武田・上杉の両軍がこれらの村々に侵入しないように一致団結して立ち上がったといいます。
信玄、謙信ともに次左衛門の訴えを受け入れ、次左衛門の屋敷地(堀の内)に杉を植えさせて、幕を張り、これを両軍の停戦ラインとしたといいます。住民による戦争回避は、自力救済の戦国時代にとても重要でした。
現在は、杉は残りませんが由来を記した石碑が建っています。

典厩寺

長野県長野市

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長野市篠ノ井杵渕1000にあります。
永禄4年川中島の戦いにおいて、武田信玄の弟・信繁(典厩)は、上杉家の家臣・宇佐美駿河守に討ち取られます。信繁の死骸は千曲川に転げ落ち浮き沈みして流れたといいます。武田、上杉の兵たちは、これを奪い合いましたが家臣が引き揚げ、この場所で荼毘に付したといいます。境内には信繁の墓があります。また、記念館があり信繁をはじめとした川中島の戦いに関する諸資料が展示、公開されています。

旭山城

長野県長野市

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善光寺の南西にある旭山の山頂の山城です。長野市街地からは西に尖った山として一目でわかります。
弘治元年第2次川中島の戦いにおいて、武田信玄の調略に応じた善光寺の堂主・栗田氏が、武田氏の援軍のもとに籠った城です。信玄はこの城に弓800張、鉄砲300挺を送っています。
この戦いは、大規模な戦闘がないまま約200日間に渡って膠着状態になりました。この時、今川義元が和議の仲介に入り、両軍が撤退となりました。これに伴って、旭山城は破却されます。

【現地に行く際の注意】
歩きやすい服装でお出かけください。
行き方は、下記のながの山城あるきHPをご覧ください。
旭山頂上まで行かなくても
スポット周辺(朝日山観世音堂付近など)でもスタンプを獲得できます。

横山城

長野県長野市

横山城のイメージ

長野市箱清水の建御名方富命彦神分神社の境内がこれにあたります。社殿のあるところが主郭の場所です。このため、この場所を「城山」と呼んでいます。
弘治元年の第2次川中島の戦いにおいては、善光寺を挟んで旭山城に籠る栗田氏と対峙した上杉謙信の本陣として利用され、その後も川中島の戦いにおいて利用されました。
現在この一帯は、城山公園として整備されており、憩いの場所となっています。

首塚

長野県長野市

首塚のイメージ

川中島古戦場史跡公園や八幡社には合戦に由来する首塚があります。海津城代の高坂弾正は、川中島の激戦の後、散乱した戦死者8000人余りの遺体を、敵味方の隔てなく手厚く埋葬したのがこの首塚と言います。上杉謙信は高坂弾正の行為に感動し、塩に難儀していた甲斐、信濃に塩を送ったとの故事が地元に伝わります。これが、「敵に塩を送る」の語源とも言われています。

赤川

長野県長野市

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長野市篠ノ井西寺尾に赤川という地名があります。この地には昔赤川神社がありました。
永禄4年の第4次川中島の戦いで、5000人もの戦死者を出したといいます。このため、神社の前を流れる川は血で赤くなったといいます。
川中島の激戦を偲び、昭和2年、住民は神社の跡地に浅井冽の句碑「骨をつみしほ流ししもののふの、おもかげうかぶ赤川の水」を建立し、現在も残されています。

尼厳城

長野県長野市

尼厳城のイメージ

長野市松代町東条にある山城です。
戦国時代、村上義清に属した東条氏の山城でした。弘治2年、武田信玄は真田幸綱(幸隆)に尼巌城の攻略を急ぐように命じました。城は落城し東条氏は上杉氏を頼って越後へと逃れます。その後、尼巌城は小県郡と善光寺平を結ぶルートの拠点として、武田信玄の北信濃攻略のうえで重要な役割を果たすのです。
その後、武田信玄によって海津城の築城がすすむと、その機能も海津城へと移されるのです。

【現地に行く際の注意】
歩きやすい服装でお出かけください。
行き方は、下記のながの山城あるきHPをご覧ください。
尼巌山頂上まで行かなくても
スポット周辺(善徳寺や岩沢登山口など)でもスタンプを獲得できます。

高坂弾正の墓

長野県長野市

高坂弾正の墓のイメージ

長野市松代町豊栄の明徳寺には高坂弾正のものと伝える墓があります。
高坂弾正は春日虎綱のことで、現在の信州新町を拠点として川中島西部に精力を待った香坂氏の家を継いで、香坂(高坂)弾正と名乗ったのです。春日虎綱は海津城の城主として武田信玄から多くの権限を与えられていました。

妻女山

長野県長野市

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永禄4年の川中島の戦いの時、上杉謙信が本陣とした。『甲陽軍鑑』などでは「西条山」と記されることもある。上杉謙信は武田信玄の攻撃に備えて1000人の兵を潜ませていたといい、「千人窪」という場所がある。また、山上には旗塚と呼ばれるところもある。
上杉謙信は武田軍の城、海津城から立ち上る炊飯の煙を見て攻撃の近いことを知り、妻女山から兵を八幡原に動かし、武田軍を奇襲攻撃したという。

茶臼山

長野県長野市

茶臼山のイメージ

茶臼山は、長野盆地の西に位置しており、地籍は長野市篠ノ井有旅で、現在は茶臼山動物園がある。
永禄4年の戦いにおいて、武田信玄が一時期、本陣を置いたとされる。頂上に近いところには、本陣跡の石碑が建っている。現地には、「堀切」や「旗塚」など、本陣らしい地名も残っている。

【現地に行く際の注意】
歩きやすい服装でお出かけください。
茶臼山方面からは陣跡に行くことができません。
信里小学校方面を目指してください。
信里小学校の北東にある駐車場(茶臼山トレッキングコースの看板あり)から徒歩5分程度です。
陣跡まで行かなくてもスポット周辺(茶臼山自然植物園や信里小学校など)でもスタンプを獲得できます。

長野市立博物館

長野県長野市

長野市立博物館のイメージ

長野市南部にある川中島古戦場史跡公園内に昭和56年9月23日に開館しました。「長野盆地の歴史と生活」をテーマにして、常設展示や特別展示、各種事業を行っています。また、プラネタリウムも併設し、独自のオリジナルの番組を制作投影しています。