中高野街道散走

堺市

中高野街道散走のイメージ

中高野街道は、大阪市平野区の大念仏寺付近から発し、松原市、堺市美原区を経て、大阪狭山市で下高野街道と合流します。さらに河内長野市で西高野街道と合流し高野山へ向かいます。
中世から近世において、商業都市堺や浪速を中心とした産業の流通や人々の伊勢詣や熊野詣、高野詣などによって発展した街道と考えられています。
歴史ある街道を散歩するように自転車で散走してみませんか。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「71069」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

屯倉神社

大阪府松原市

屯倉神社のイメージ

平安時代中期の942年の創建と言われています。菅原道真などが祭神です。道真が九州の太宰府へ赴く際に立ち寄り、腰を掛けたという神形石があります。屯倉は「ミヤケ」と読み、ヤマト王権の直轄地であったことから名づけられました。境内は梅が有名で、毎年多くの参拝者で賑わいます。

阿保神社

大阪府松原市

阿保神社のイメージ

平安前期、平城天皇の第一皇子の阿保親王(六歌仙の一人・在原業平の父)が、当地に住んだことが阿保の地名の由来。神社は菅原道真を祀っています。のちに阿保親王社も祀られ、本殿横にみられるクスの大木は阿保親王お手植えと伝えられ、樹齢1100年と言われています。

阿保茶屋跡

大阪府松原市

阿保茶屋跡のイメージ

中高野街道と長尾街道の交差する所は、江戸時代以降、旅人めあての多くの茶屋があったといわれています。江戸時代の史料に阿保茶屋村と呼ばれていたことも。1906年5月建立の松原村出兵軍人の「日露戦役記念碑」や1928年10月の「御大典記念」「松原村分会」記念碑も建てられています。

柴籬神社

大阪府松原市

柴籬神社のイメージ

反正天皇が都とした丹比柴籬宮の跡に、5世紀末、24代仁賢天皇が勅命で創建したと伝えられています。御祭神の反正天皇が美しい歯の持ち主であったことに由来し、境内に歯神社が祀られ日本唯一の石造りの歯磨き面があり、さわると歯痛にならないと言われ人々に信仰されています。

松原南コミュニティーセンター(竹内街道案内板)

大阪府松原市

松原南コミュニティーセンター(竹内街道案内板)のイメージ

中高野街道と竹内街道の交差する地点です。伊勢神宮の参拝目的として結成された伊勢講が1797年5月に建てた花崗岩のかまぼこ型角柱があります。

来迎寺

大阪府松原市

来迎寺のイメージ

融通念仏宗。奈良時代に行基が創建、鎌倉時代に法明上人が中興。江戸初期の1623年には徳川家康に従った高木氏が隣地に丹南藩1万石の陣屋を置き、当寺を菩提寺としました。墓地に初代高木正次、11代高木正明の五輪塔が祀られています。境内のいぶきの木は府指定の天然記念物です。

堺市立みはら歴史博物館

大阪府堺市

堺市立みはら歴史博物館のイメージ

「カタチ造りの達人」をグランドコンセプトに、2003年に開館しました。愛称のM・Cみはらは、Museum(博物館)とCommunity(交流)をイメージしたものです。展示場もあり「黒姫山古墳」「河内鋳物師」「ちょっと昔の道具」などをテーマとした常設展示を行っています。また、講演会・音楽会、研修会・レセプションなどの催しなどに利用され、文化・芸術にふれ交流できる附属ホール(M・Cホール)を併せ持つ複合施設です。

黒姫山古墳

大阪府堺市

黒姫山古墳のイメージ

古墳時代中期(5世紀中頃)に、この地域で勢力を誇っていた丹比(たじひ)氏によって築造されたと考えられます。また、中世には城の砦として転用されていたことも分かっています。1957年、古墳のもつ重要性から国の史跡に指定され、1989年からは、国と府の補助を受けて、環境整備が実施されました。整備では、古墳の解説ビデオ上映設備のあるガイダンス施設等を建設し、「史跡黒姫山古墳歴史の広場」として親しまれています。

舟渡池公園

大阪府堺市

舟渡池公園のイメージ

平成15年4月1日に開設した本公園は、美原区内で最も大きいため池である舟渡池のほとりにある公園です。昔この付近一帯が湿地帯で、交通手段として舟を利用した名残りが池名の由来として伝えられていいます。池には、ゴイサギやカルガモなど、一年を通じてバードウォッチング、春から夏にかけて咲くハナショウブが楽しめ、多くの人々の散策や憩いの場として利用されています。

菅生神社

大阪府大阪狭山市

菅生神社のイメージ

「延喜式」神明帳にも記される式内社です。当地に居住していた中臣氏の一族である菅生氏が祖神を祀ったと考えられています。「新抄格勅符」には764年本国封一戸を充て奉るとあり、それ以前から当社が存在したことがわかると共に、朝廷から重視された神社の一つだったことも示されています。

狭山藩陣屋跡碑

大阪府大阪狭山市

狭山藩陣屋跡碑のイメージ

かつて戦国大名として名高い北条早雲の子孫が、江戸時代に一万石の大名といして狭山池のほとりに陣屋を構えました。陣屋内には藩主の御殿を中心に家臣たちの屋敷が配置されました。陣屋はメインストリートである大手筋が南北に貫いており、これを基準に街並みが造られていたとする石碑と説明版があります。

狭山池博物館

大阪府大阪狭山市

狭山池博物館のイメージ

1,400年の歴史を刻む日本最古のダム式ため池である狭山池と一体化した親水空間を有する土地開発史専門の博物館です。建物内部に巨大な堤の断面を丸ごと移築展示するなど、特徴的な展示があります。安藤忠雄氏の設計です。

報恩寺

大阪府大阪狭山市

報恩寺のイメージ

1601年に建立された浄土宗の寺院で、中高野街道と下高野街道が合流する場所にあります。狭山藩北条氏の位牌所であり、幕末には天誅組がやって来た寺としても知られています。

狭山神社

大阪府大阪狭山市

狭山神社のイメージ

「延喜式」神明帳にも記される式内社です。「牛頭天王社」とも呼ばれ、天照大神とスサノオノミコトを祀っています。神社の東側には鎮守の森が広がる宮山が、神社前の道路をはさんだ西側には鳥居があります。

風輪寺

大阪府大阪狭山市

風輪寺のイメージ

中高野街道沿いに位置する、融通念仏宗の寺院です。国指定重要文化財の「絹本著色釈迦如来及四菩薩像」をはじめとする文化財を所蔵しています。

与津の辻

大阪府河内長野市

与津の辻のイメージ

弘法大師が祈った場所に樟が生え、4本の大きな枝ができ、釣瓶をつるすのに丁度よい枝ぶりであったことから、この地を四釣樟・四樟(よつるくすのき・よつくのき)と呼ぶようになりました。その後、これが転じて、この地は與津・与津・四津(よつ)と呼ばれるようになり、現在、西高野街道と中高野街道の合流地点は「与津の辻」と呼ばれています。

盛松寺

大阪府河内長野市

盛松寺のイメージ

盛松寺の創建は、1722年と言われています。境内には、本堂・供養堂・庫裏・六角堂が建ち並んでいます。江戸時代、現在の盛松寺のある山は大師山(だいしやま)と呼ばれていました。六角堂とは、この大師山に開かれた新四国八十八ヶ所霊場を1つに集めたお堂です。また、盛松寺には、空海が伝えたとされる「柚子みそ」の製法が伝わっており、12月21日に柚子みそが参拝者にふるまわれます。