宗右衛門町スタンプラリー(音声ガイド付)

大阪市

宗右衛門町スタンプラリー(音声ガイド付)のイメージ

宗右衛門町は道頓堀川の北側、戎橋から日本橋までの東西約500mの通りです。江戸時代から格式の高い花街として知られ、現在はバーや飲食店が立ち並びミナミを代表する繁華街の1つとなっています。

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相合橋

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相合橋のイメージ

相合橋がはじめて架けられたのは江戸時代。道頓堀で芝居見物の後に宗右衛門町へ遊びにいく人々が渡り、華やかなにぎわいがあったといわれます。昭和半ばに鉄橋となり、昭和の終わりに橋の幅を大きく拡げて橋の上に広場が設けられました。

宗右衛門町は明治には高級料亭や老舗のお茶屋が軒を連ねる「南地五番花街」の一つで、最も格式の高い花街といわれた町です。相合橋の上では、節分の厄除けお化け餅つきなど、今でも花街の風習が色濃く残る行事が行われています。

食満南北 句碑

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食満南北 句碑のイメージ

「盛り場を むかしに戻す はしひとつ」という句が書かれています。この句を詠んだ食満南北(けまなんぼく)は、「明治から昭和の関西歌舞伎を代表する作者」として知られます。この句の「橋」は、句碑のある相合橋から1つ西側の太左衛門橋です。食満南北は毎日太左衛門橋を渡って道頓堀の芝居に通っていたそうです。橋は大阪大空襲で焼失、終戦後に地元の人々の手で木橋が造られた際にこの句が詠まれたそうです。碑は当初太左衛門橋のふもとに作られましたが、後に移転され現在の場所となっています。

太左衛門橋

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太左衛門橋のイメージ

太左衛門橋(たざえもんばし)の名は、橋の角で歌舞伎小屋を開いた大坂太左衛門に由来するといわれます。江戸時代から宗右衛門町と芝居町道頓堀をつないでいた木橋で、織田作之助の小説『女の橋』『船場の娘』『大阪の女』という三部作では、この橋が作品の重要な場面に登場します。
大阪大空襲で橋は焼失しましたが、終戦後に地元の人々の手で木造の橋が造られました。その後、鉄筋の橋にかけ替えられ、平成の改修で木を基調とした趣きある現在の橋の姿となりました。

宗右衛門町

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宗右衛門町のイメージ

☆スタンプは写真の「宗右衛門町アーチ」付近で獲得できます。

宗右衛門町は道頓堀川の北側、戎橋から日本橋までの東西約500mの通りです。江戸時代から道頓堀の芝居客でにぎわう遊興の街で、宗右衛門町は最も格式の高い花街となりました。昭和半ばに花街はバーやキャバレーに変わりミナミを代表する繁華街の1つとなります。

Barマスダ

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Barマスダのイメージ

昭和33年の創業以来、宗右衛門町で営業を続ける老舗のBAR「Berマスダ」。親子2代に渡り昭和、平成、令和と60年以上この街の移り変わりを見守ってきました。「粋(すい)なもてなしをする大人の街」宗右衛門町を代表するお店の1つです。

南地大和屋跡地

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南地大和屋跡地のイメージ

☆スタンプは「ホリデイ・イン大阪難波」建物付近で獲得できます。

現在ホリデイ・イン大阪難波が建つ場所は、南地大和屋という料亭でした。明治10年の創業から120年余りの間、この地で多くの政財界人や文化人に愛されましたが、平成に入り惜しまれながら閉店となりました。格式の高い料理や最高級のもてなし、さらに芸者の養成所を開いて多くの名妓を育て上げた南地大和屋。上方文化発信の場でもあり、大阪を代表する名料亭でした。大阪ミナミの伝統行事、1月10日の十日戎に行う宝恵かご行列では、いまもこの旧大和屋前が出発の場となり今宮戎神社まで巡行しています。