令和4年度 魅力ぎっしり中央区! 船場界隈周遊 Ver3.0

大阪市

令和4年度 魅力ぎっしり中央区! 船場界隈周遊 Ver3.0のイメージ

中央区の名所道頓堀などでスタンプを集めながら、中央区の歴史や文化、にぎわいなどの魅力を再発見いただけるラリー形式の周遊ガイドです。
☆このラリーでは、「GPS」スポット付近にいくとスマホの「GPS」機能で自動的にスタンプが取得できます。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「34810」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

淀屋橋 

大阪府大阪市

淀屋橋 のイメージ

【GPSスポット】淀屋の碑周辺

淀屋橋は江戸時代初期に活躍した大商人・淀屋によって架けられたと伝えられています。淀屋は江戸前期に活躍した豪商で、木材商や中之島の開発で財を成しました。
淀屋橋は明治に入り洪水によって流失し架け替え、さらに市電堺筋線の建設に伴い明治44年に再度架け替えられました。現在の橋は昭和10年(1935)に御堂筋の建設に伴いかけられたコンクリート・アーチ橋で、一般公募によって決められました。
平成20年(2008)に国の重要文化財に指定されています。

綿業会館

大阪府大阪市

綿業会館のイメージ

【GPSスポット】綿業会館 エントランス付近
綿業会館は昭和6年(1931年)建築、国の重要文化財です。東洋紡績(現・東洋紡)役員であった岡常夫の遺言による寄付と関係業界から寄付により、日本綿業倶楽部の施設として建設されました。ルネサンス風の外観、部屋により異なる建築様式で、戦前の近代美術建築の傑作として知られています。設計は建築家の渡辺節、図面責任者は村野藤吾です。

輸出繊維会館

大阪府大阪市

輸出繊維会館のイメージ

【GPSスポット】輸出繊維会館 エントランス付近

輸出繊維会館は、昭和35年(1960)に輸出繊維業界の共同施設として建てられました。建築家村野藤吾の作品のひとつです。イタリア産の石材トラバーチンの外壁と、角の丸いアルミサッシの窓が特徴。繊維輸出業界のシンボル的な建築物として知られます。

北御堂(浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院)

大阪府大阪市

北御堂(浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院)のイメージ

【GPSスポット】本願寺津村別院(北御堂)

浄土真宗本願寺派と大阪の関係は古く、本願寺第8世蓮如が1496年に石山御坊を現在の大阪城の地に建設したことが始まりです。織田信長との合戦後、焼失しましたが、1591年に豊臣秀吉の寄進で京都に本山が移転しました。津村別院は1597年に「津村御坊」として設立され、江戸時代には南側に建てられた難波別院と共に「御堂さん」として親しまれました。

船場センタービル9号館

大阪府大阪市

船場センタービル9号館のイメージ

【GPSスポット】船場センタービル9号館 付近

船場センタービルは、1970年に誕生した東西に約1キロメートル続く巨大な商業施設で、高速道路の高架下に位置しています。西側は地下鉄本町駅と直結し、地上と地下1階にはショッピング街が広がっています。また、地下2階には充実した飲食店街があります。

坐摩神社

大阪府大阪市

坐摩神社のイメージ

【GPSスポット】坐摩神社境内付近

天正10(1582)年、大川の南岸、八軒屋・渡辺の津(現在の中央区石町付近)から現在の中央区久太郎町に遷座されました。坐摩神(いかすりのかみ)の語源は、居住地を守るという意味の「居所知」(いかしり)が転じたものといわれます。

境内の西側には陶器神社があります。明治の終わリ、市電敷設の道路拡張のため坐摩神社の境内に移されました。各地の陶芸作家が寄進した絵皿や全国の焼き物の里から奉納された陶磁器を見ることができます。

南御堂(真宗大谷派・難波別院)

大阪府大阪市

南御堂(真宗大谷派・難波別院)のイメージ

【GPSスポット】南御堂

真宗大谷派難波別院は、浄土真宗の宗派で、第12世教如が文禄5年(1596)に大谷本願寺を開創したことが始まりです。しかし豊臣秀吉が大阪城を築き、城下町を整備する過程で、大谷本願寺は慶長3年(1598)に現在地に移転しました。総本山としての機能は、慶長7年(1602)に徳川家康の寄進で京都に東本願寺が建立されるまで続きました。その後、難波別院は大阪第一の拠点寺院として地域に親しまれ、津村別院と共に御堂筋の語源となっています。

難波神社

大阪府大阪市

難波神社のイメージ

【GPSスポット】難波神社 境内

難波神社は、仁徳天皇を祭神として建てられたと伝えられ、ほかにも源頼朝が土地を寄進した記録があったりと、歴史上の人物が随所に登場する由緒ある神社です。安土桃山時代に豊臣秀吉が大阪城を築城する際、難波神社は現在の場所に移転しました。その時、秀吉の庇護を受けて約6万坪の敷地を持つようになりましたが、大阪夏の陣で豊臣家が没落したことにより、難波神社も影響を受け、敷地が大幅に縮小されました。その状態が現在の難波神社に続いています。

三木楽器開成館

大阪府大阪市中央区

三木楽器開成館のイメージ

【GPSスポット】三木楽器開成館

創業100周年にあたる大正14年(1925年)、増田建築事務所の設計により、鴻池組が施工を行いました。ショーウィンドウが特徴の鉄筋コンクリート造で、地上4階、地下1階建ての建物は、大正期の都市部に建設された商業ビルの代表作です。

外壁は茶褐色のレンガで、裾部を花崗岩の貼り付けとし、2階と3階の窓の間には植物のレリーフが加えられています。縦の線を強調したスタイルは、ドイツのピアノ製作会社の本社建物の外観を意識したといわれています。三木楽器本店ビルは1997年に国登録有形文化財に登録されました。

船場センタービル 6号館

大阪府大阪市

船場センタービル 6号館のイメージ

【GPSスポット】船場センタービル 6号館付近 

船場センタービルは、1970年に誕生し、東西に約1キロメートル続く巨大な商業施設で、高速道路の高架下に位置しています。ビルの中央から西エリアにかけては繊維問屋が立ち並ぶ”繊維のメッカ”ですが、小売可能な問屋や店舗が多くあることから一般客も気軽に買い物が楽しめるショッピングゾーンとなっています。
4号館地下や5~9号館の1階にはトリックアートが設置されており、館内を探しながら写真撮影を楽しむのもおすすめです。

船場センタービル3号館

大阪府大阪市

船場センタービル3号館のイメージ

【GPSスポット】船場センタービル3号館付近

船場センタービルは、1970年に誕生した東西に約1キロメートル続く巨大な商業施設で、高速道路の高架下に位置しています。1~3号館は1番東寄りで、地上と地下1階には輸入卸の専門店などショッピング街が広がっています。地下2階には充実した飲食店街があり、地下鉄堺筋線と直結。

見どころの一つは船場ミューラルパーク(SMP)。これは3号館と4号館を結ぶ地下連絡通路の壁面に、多くのアーティストによって描かれた巨大なミューラルアート(壁画)が展示されているエリアです。椅子とテーブルも設置されており、買い物の途中で一息つくのに最適です。

大阪産業創造館

大阪府大阪市

大阪産業創造館のイメージ

【GPSスポット】大阪産業創造館 エントランス付近
ここは大阪市旧東区役所の跡地で、大阪市経済局の中小・ベンチャー企業支援拠点として平成13年(2001)に開業しました。
ビルの壁面に広がるアートは「宝の艀(はしけ)」。航跡の先、空に漕ぎ出す船には七福神の姿が見られます。
地下には五代友厚、松下幸之助など大阪を舞台に活躍した企業家を紹介する「大阪企業家ミュージアム」があります(有料)。

本町橋顕彰碑

大阪府大阪市

本町橋顕彰碑のイメージ

【GPSスポット】本町橋顕彰碑

本町橋は現役の橋では市内で最も古い橋です。初代の橋は大阪城築城に際して東横堀川を開削したときに架けられたといわれます。江戸時代には軍事上重要な「公儀橋」の一つとして幕府が直接管理しました。周辺には呉服屋や古着屋が立ち並び、繊維業の中心地として往来が絶えなかったようです。西町奉行所の開設後は行政の中心地としても栄えました。現在の橋は大正2年(1913)に架けられたもの。ルネサンス風の重厚なデザインが特徴でなにわ名橋50選にも選ばれています。

高麗橋

大阪府大阪市

高麗橋のイメージ

【GPSスポット】高麗橋

江戸時代の高麗橋は、幕府が管理する12の公儀橋の中でも格式が高く、西詰には幕府の御触書を掲示する製札場が設置されていました。また、距離を測る起点にもなっていました。明治3年(1870年)、大阪初の鉄橋に架け替えられ、さらに昭和4年(1929年)に現在の鉄筋コンクリート製のアーチ橋になりました。

高麗橋の名前の由来にはいくつかの説があります。かつての東区(現・大阪市中央区)が発行した「東区史」によれば、秀吉が東横堀を開削して橋を架けた頃、この橋を中心に高麗との貿易が大変盛んだったため、それが名前の由来と考えられると記されています。

道修町

大阪府大阪市

道修町のイメージ

【GPSスポット】少彦名神社周辺

道修町一帯はくすりの町として知られており、江戸時代から薬種商が集中して店を構えていた街区です。長崎に輸入された唐薬や諸国で生産された和薬を市中や全国に販売する中継点として機能していました。

道修町に鎮座する少彦名神社は、日本医薬の祖神・少彦名命と中国医薬の祖神・神農炎帝の二柱をお祀りしており、道修町の信仰や経済活動の中心でした。毎年11月22・23日に行われる神農祭は「大阪の祭りはえべっさんに始まり神農さんで終わる」と言われ、「とめの祭」とも呼ばれています。

北浜

大阪府大阪市

北浜のイメージ

【GPSスポット】北浜

江戸時代初期から、北浜には米市場や金相場会所が存在し、両替商、米問屋、米仲買が集まり、金融の中心地として栄えていました。明治維新を経て、五代友厚らの手によって、金相場会所の跡地に大阪株式取引所(現在は大阪取引所)が開設されました。それに伴い、北浜周辺は株式取引所を中心とする金融街として発展を遂げてきました。

大阪証券取引所(現在は大阪取引所)の建物は、平成16年(2004年)に高層化と全面改築が行われましたが、円形のエントランスホールと外観はそのまま保存されました。現在も、北浜のシンボルとして地域の人々に親しまれています。