聖徳太子巡礼の道 07 叡福寺 

大阪府

聖徳太子巡礼の道 07 叡福寺 のイメージ

聖徳太子廟と王陵の谷を巡るコース
聖徳太子巡礼の道のゴール地点です。叡福寺境内に太子廟があり、母・妃とともに葬られています。磯長といわれるこの地は近つ飛鳥の異名をもち、飛鳥との関係が深く、天皇陵とされる古墳が多く集まることから王陵の谷ともよばれています。日本遺産の竹内街道、町立竹内街道歴史資料館などもあり、太子の時代を感じながら散策してみたいところです。

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叡福寺・太子廊

大阪府南河内郡

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叡福寺は上之太子とも称され、境内には叡福寺北古墳という円墳の太子廟があります。『聖徳太子伝暦』によれば、太子は生前に墓所を磯長に造らせました。『日本書紀』には、太子が没すると万民が「日も月も光を失い、天地が崩れてしまったようだ」と嘆き悲しんだとあります。横穴式石室に太子のほか母の穴穂部間人皇女、妃の膳部菩岐々美郎女の三名が埋葬されているため、「三骨一廟」とよばれています。奥に母、手前右に太子、左に妃と目される棺の存在が知られています。叡福寺は太子廟を守る寺として奈良時代以降に姿を整えはじめたようです。中世以降、仏教関係者を中心に太子廟参詣が盛んになり、太子信仰の聖地として現在に続いています。

用明天皇陵

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用明天皇陵のイメージ

用明天皇は聖徳太子の父親で、仏教に厚く帰依した人物です。587年に没し、いったん磐余に葬られましたが、のち磯長の地に改葬されました。一辺が約60mの方墳です。

推古天皇陵

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推古天皇は聖徳太子の叔母です。叔父が蘇我馬子です。628年に没し、最初は飛鳥で葬られましたが磯長へ改葬されました。息子の竹田皇子との合葬墓で、一辺約60mの方墳です。

小野妹子廟(墓)

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小野妹子は607年、第2回遣隋使として派遣され、翌年隋使の裴世清をともなって帰国しました。当時、推古天皇を補佐して外交に携わっていたのが聖徳太子でした。

太子町立竹内街道歴史資料館

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太子町立竹内街道歴史資料館のイメージ

太子町内を通る竹内街道を軸に展開した石の流通や太子信仰、庶民信仰などを詳しく展示・紹介しています。王陵の谷に広がる天皇陵についても関連資料を観ることができます。