船場のパワースポット巡り

大阪市

船場のパワースポット巡りのイメージ

このコースは中央区にある6つの寺社仏閣を巡ることができるコースとなっています。
ゆっくり巡って気分をリフレッシュしてみてください。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「59262」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

御霊神社

大阪府大阪市中央区

御霊神社のイメージ

●浪速の氏神
 創建は古く、800年代後半。大阪湾が深く入りこんで、葦が繁る円形の入り江に祀られた円(つぶら)神社に始まる。文禄3年(1594)、円江(つぶらえ・現在の西区靭)から現在地に鎮座し、江戸時代に御霊神社と改称した。船場言葉の御寮人「ごりょんさん」(商家の若奥様)と語呂が似ているところから、「御霊さん」や「御霊はん」と親しみをもって呼ばれてきた。船場という土地柄、商売の縁を結ぶ「縁結びの神様」としての信仰も篤い。

少彦名神社

大阪府大阪市中央区

少彦名神社のイメージ

●「神農さん」と呼ばれるわけは
大阪・船場の道修町(どしょうまち)にある少彦名神社は、「神農(しんのう)さん」とも呼ばれ、親しまれている。江戸時代、薬種商は、中国医薬の祖とされる神農氏の像や掛軸を床の間に祀っていた。当時、薬といえば長崎から輸入される唐薬種(漢薬)で、薬の真偽、品質の見極めが難しかったからである。その後、和薬種(国産薬)の取扱量が増加。安永9年(一七八〇)、京都の五條天神宮から、わが国の薬の神様、少彦名命(すくなひこなのみこと)の分霊をお迎えし、以前から祀っていた神農氏と合祀した。これが少彦名命と神農氏、2人の神様がいらっしゃる理由である。

坐摩神社

大阪府大阪市中央区

坐摩神社のイメージ

●坐摩(いかすり)のいわれ
 神社の歴史は古い。神功(じんぐう)皇后が朝鮮半島の新羅に遠征をして帰られた折、淀川南岸の渡辺の地(現・天満橋の西方)に、生井神(いくいのかみ)福井神(さくいのかみ)綱長井神(つながいのかみ)波比岐神(はひきのかみ)阿須波神(あすはのかみ)を祀られた。総称して坐摩神(いかすりのかみ)という。語源は、居住地を守るという意味の「居所知」(いかしり)が転じたもの。神功皇后が腰掛けられたという巨石が、今も祀られている。鷺丸の社紋も皇后との縁があり、由緒の深さを感じさせる。

難波神社

大阪府大阪市中央区

難波神社のイメージ

●豊臣家と難波神社
難波神社が現在の場所に移転したのは、安土桃山時代で、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大坂城を築城するにあたって移しかえたという。その時、秀吉の庇護を受け、約6万坪もの敷地を持つに至る。ところが大坂夏の陣で豊臣家が没落すると、難波神社もその余波を受け、敷地も大きく縮小された。それが現在の難波神社にそのままつながっていく。

浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(北御堂)

大阪府大阪市中央区

浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(北御堂)のイメージ

●「北の御堂さん」と呼ばれて
 大阪を南北につらぬく御堂筋の名前は、北御堂・南御堂と呼ばれたこの2つの別院に由来している。名付け親は元大阪市長・關一(せきはじめ)氏だ。
 この周辺の船場と呼ばれる場所は、江戸時代の商人たちに「御堂さんの屋根の見えるところで、鐘の音の聞こえるところで商売がしたい」とまで言わしめた、ステイタスのある立地。
 商業都市としての隆盛を誇った大坂の町が、そのまま現在の大阪へとつながっていることを考えれば、御堂さんの果たした役割が理解できる。
 毎年4月8日の花まつり、8月の盆踊り、12月大晦日の除夜会などの行事が行われている。

真宗大谷派難波別院(南御堂)

大阪府大阪市中央区

真宗大谷派難波別院(南御堂)のイメージ

●正式名称は真宗大谷派難波別院
 難波別院は、浄土真宗の真宗大谷派と呼ばれる宗派である。
 文禄5年(1596)、真宗大谷派の開祖である第12世・教如(きょうにょ)が、現在の北区の天満橋と天神橋の間に位置する「渡辺の地」に大谷本願寺を開創したことに始まる。しかし、天正11年(1583)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が石山本願寺跡に大坂城を築城。城下町を整備していくにあたり、石山本願寺に隣接して建っていた大谷本願寺は、秀吉の命により慶長3年(1598)、現在地に移転した。
 総本山としての機能は、慶長7年(1602)に徳川家康の寄進によって京都に東本願寺が建立されるまでで、それ以降難波別院は、大坂第一の拠点寺院として地域に親しまれた。
 北御堂と呼ばれた津村別院とともに南御堂と称され、御堂筋の語源ともなり、今日に至る。