大多喜城下町観光ツアー (90分コース)

千葉県

大多喜城下町観光ツアー (90分コース)のイメージ

大多喜城と大多喜城下には多くの文化財や、いすみ鉄道と四季折々に咲く花や風景を求めてて多く観光客がおみえになります。特に歴史的建造物をガイド代わりに、観光見所までに道案内、見所に到着しますと文字で観光情報を紹介したします。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「37481」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

ガス記念館

千葉県夷隅郡

ガス記念館のイメージ

関東天然瓦斯㈱が天然ガスのPR施設として2013年4月1日にオープンした。大多喜町は水溶性天然ガス発祥の地としていわれています。町内には現在の関東天然瓦斯㈱、合同資源産業㈱、大多喜ガス㈱の他にも小規模な工場が操業していました。この施設は関東天然瓦斯㈱が町の新たな観光資源として4月1日にオープン致しました。

渡辺家住宅

千葉県夷隅郡

渡辺家住宅のイメージ

大多喜藩の御用達を勤めた町の大通りに面した商家で、「穀家」の屋号で知られる。この建物は、棟札から1849年に建てられたことがわかる。道路に面する主屋は2階建ての町家形式をとり、1階は、店舗として利用され、前面に土庇が付く。1階店舗部分の間取りは、6畳、4畳半と台所が設けられた土間からなり、それに続いて居間が角屋風に主屋の背面に突きだしている。居間は中間と書院造の座敷の2室となっている。

釜屋

千葉県夷隅郡

釜屋のイメージ

江戸の見世蔵形式を取り入れた建築様式の商家釜屋は、当初、質屋で金物店に転業し、建設会社を経て現在町が所有しています。1階は土間と居室が2部屋、2階は、蔵座敷が2部屋あり、玄関のくぐり戸や窓の開閉に工夫が凝らされています。また庭先の稲荷様が当時の繁栄を物語っている。

商い資料館

千葉県夷隅郡

商い資料館のイメージ

1階は江戸時代の商家の帳場を再現、2階には「町家の暮らし」、「暮らしの道具」、「職人の道具」、「暮らしと遊び」の資料コーナーを設けています。資料コーナーは、入場無料です。

櫻谷寺

千葉県夷隅郡

櫻谷寺のイメージ

天正年間、大多喜城主本多忠勝の母が逝去の際、大嚴寺第2世安誉虎角を招き、万木村(現夷隅町)櫻谷に1寺を建立し菩提を弔ったとある。文禄4年(1595)弟子寂誉至道により現在の地に遷されたが消失し明和5年(1768)実誉円硯の代に再建された。境内にある石造地蔵菩薩立像【延命地蔵尊)は、像高160cm余り、柔和なお顔、衣の流麗な線が見事である。大多喜町指定文化財である

妙福寺(シャクナゲ)

千葉県夷隅郡

妙福寺(シャクナゲ)のイメージ

 日蓮宗で、大永2年(1522)日明上人の開祖とされ、本多氏以来の歴代城主の帰依が厚く、多くの文化財が伝わる。中でも大多喜城主本多忠朝の書状が残るが、これは妙福寺の住職が、はるばる忠朝のもとに「そうめん」一折を陣中見舞いとして届けたときの礼状である。「遠路御念入れられ・・・・・快然の至り浅からず候」とあって忠朝の人柄をほうふつされる文章である。また、大多喜城主松平正久が妙福寺に当てた文章もある。徳川家にて若君さまがご誕生にあたり、安産を祈った礼状である。ほかに、室町時代の作と思われる絹本着色の釈迦涅槃図なども伝わっていて、城下町の寺院の貫録を物語っている。

大圓寺(藤)

千葉県夷隅郡

大圓寺(藤)のイメージ

浄土宗で、大永2年(1522)正蓮社天譽存公上人の開祖で、本尊阿弥陀如来立像は、像高1m60cm、檜の寄木造り文禄年間に造像さらたもので、台座より3m余りもある見事なものである。墓地に立つ、石造 阿弥陀女来立像はは大多喜町指定文化財である。墓地内には荘司(野々宮)きくの墓がある。きくは、明治の作家「樋口一葉」の友人で、大多喜に居し、教鞭をとっていた人である。後、大多喜をはなれ、大正11年、53歳で亡くなる。今、その墓石は、塀に近くひっそりと建っている。

良玄寺本多忠勝墓所

千葉県夷隅郡

良玄寺本多忠勝墓所のイメージ

1595年本多忠勝が建立し、寺領百石を寄進したと言われています。忠勝は1610年63歳で桑名浄土寺に葬られ、忠朝は1615年大坂夏の陣で戦死し大阪の一心寺に葬られ、良玄寺に分骨されました。墓地には本多忠勝,、夫人、次男忠朝の墓があります。本堂には本多忠勝像模写絵が飾られています。

夷隅神社

千葉県夷隅郡

夷隅神社のイメージ

大多喜町では最も格式の高い神社で、縁結び、夫婦和合、安産、子育て等の御利益が特に外大きいと言われています。神社の歴史は古く、1041年再建され、1587年里見氏の武将正木大膳亮が根古谷居城の時再築以後、本多忠勝より最後の城主松平正質まで武運長久の祈願社として崇敬・加護されてきました。境内では本多忠勝が推奨した六斎市が毎月5日、10日、15日、20日。25日30日に8時から12時まで開催されています。

大屋旅館

千葉県夷隅郡

大屋旅館のイメージ

江戸時代より続く門前宿で、大正期から昭和初期にかけては、旅館業の他に、フォードの車を使用したバス(乗合自動車)事業も営んでいた。1891年(明治24年)に正岡子規が学生時代の頃、房総の旅に出た際に宿泊したとされる。また、つげ義春の『リアリズムの宿』に“理想の宿”として、帳場の佇まいが描かれた。往時の面影を残す宿として、テレビドラマや写真集のロケ地としてしばしば利用されている。

豊乃鶴酒造

千葉県夷隅郡

豊乃鶴酒造のイメージ

豊乃鶴酒造は1781から88年頃に創業し、明治時代に現住所に移動しました。 現在蔵を構える大多喜町は、緑豊かな自然に囲まれ、伝統が根付いた町です。格子戸と蔵造りの家屋など歴史的な面影を色濃く残し、ドラマの撮影にも度々利用され .1999年国の登録有形文化財に登録されました。

大多喜町役場中庁舎大多喜町役場

千葉県夷隅郡

大多喜町役場中庁舎大多喜町役場のイメージ

 2013年9月3日ユネスコアジア太平洋遺産賞を受賞 2010年優秀賞を受賞した横浜市のアカレンガ倉庫に続き2番目の受賞(昭和34年1月   設計者 今井兼次  施工 大成建設㈱)

メキシコ通りとメキシコ友好記念碑

千葉県夷隅郡

メキシコ通りとメキシコ友好記念碑のイメージ

1609年ルソン島からメキシコに向かうサンフランシスコ号が9月4日御宿町岩田沖で座礁し乗組員373名中313名が救助され、大多喜城主本多忠朝が2代将軍徳秀忠に謁見。駿府の徳川家康を訪問し歓迎を受けた一行は、家康の建造した船で1610年6月13日浦賀港を出帆し10月27日にメキシコのアカプル港に到着した。
1978年11月にメキシコス大統領が来日訪問を受け、大多喜城に向かわれたことからメキシコ通りと名付けられた。